児島 進(以下KO) 今年、オープンしてからちょうど40周年やねんけど、こないだやっとオープン日がわかった(笑)。1980年の9月4日やった。なんでわかったかいうと、1981年の9月4日にマッスン(増田俊郎)が、オープン1周年記念ライブを演ってくれたっていうのがわかったからや。
木村充揮(以下KI) なんやかんやいうて、もう40年か。「チキンジョージ」って名前は、親父さんが考えたんやな? 確か。
KO そうやねん、うちの親父が海外ドラマの「ルーツ」を観てて、次の店の名前は「チキンジョージ」にすると決めたんや。主人公のクンタ・キンテの孫の名前やな。
増田俊郎(以下M) 当時は、大阪にバーボンハウスとバナナホール、京都に磔磔(たくたく)、拾得(じっとく)なんかあったけど、今から思たらチキンライスやら、チキンの賄いはうまかったなあ! 鳥モモの焼いたんが1人1本すつ出てきたのは凄かった! あんなん、チキンだけやったもん。
KO 親父が賄いはしっかりしたもん出せ! ってずっというてたからな。でも、あれはパーティの余りもんやったんやけどね(笑)
有山じゅんじ(以下A):それにしても、バーボンハウスの弁当はうまなかったな! 今やったらもう時効やろ(笑)。楽屋の裏の「丸玉給食」の弁当やったけどな。
KO バーボンハウスがミュージックチャージが500円とか1000円やったから、それにあわせんとあかんかったからチキンジョージはメチャメチャしんどかった。うちは100人しか入らへん箱やったから、バーボンに出るギャラではキツかった。
A バーボンは200人くらい入っとたかな?
M もっと入ったんちゃう?
KO バーボンがなくなってしもたとき、チャージを一気にバーンと上げたんよ、2000円くらいに。そしたら大ヒンシュクやった(笑)。
K それで、お客さんが来てくれたらええけどな!
KO 「映画でも1500円とるんやから、生身の人間がやってるライブで1000円いうのは安すぎる!」てウチの親父がずっというとったんよ。こないだ当時のライブのポスター見てたら、京大の西部講堂なんかは、入場料が200円とか300円とかやった。
A 70年代とかやったら、憂歌団もそんなとってなかったんとちゃうか?
KO 「有勘」で多分500円くらいやったわ(笑)。
A エッ!勘太郎(内田勘太郎)そんなんでやってたか(笑)?
KI 今やったら3~4倍くらいかな?
KO 世間の物価上昇率からいうたら、銭湯よりも値段上がってないんと違う(笑)? 40年前は、ビールのロング缶が店で500円やった。それって今もあんまり変われへん。
A 俺ら(有勘)って、ビールのロング缶1本分やったわけ?
KO そうや(笑)! ここで憂歌団が演ったときは、5時開場でスタート7時やった。せやから、始まる前にもうお客さんベロンベロンになってた。
KI 当時は、酒がよう出てたな。バーボンのときは2部制やったから、インターバルが小1時間ほどあったんよ。一部のときあんまり調子ようなかった。ほんで2部が始まったんやけど、始まってすぐにお客さんが、俺のグラスにドボドボって酒入れよった。「調子悪いからもうええ!」ていうたんやけど、しゃあないからグビグビ飲んだらそっからメチャ調子ようなった(笑)。後で思たら、悪い時はいろいろ考えてまうけど、酔うとなんも考えへんからそれがよかったんかもな。
A もうちょっと考えた方がええんとちゃうか(笑)?
KI そやけどライブの前に考えとったことは一回も本番で喋ったことないな。さっき思たことより、今思うことのほうがええと思てんねん。