(鮎)=鮎川誠、(ロ)=ROMEL AMADO(勝)=児島勝
―― 企画としましては、チキンジョージさんが40周年を迎えられて、ご縁のあるアーティストさんにインタビューさせてもらって、特設サイトとかその他いろいろなところにインタビューを載させていただきたいと、で今回勝さんのご紹介で聞き手としてやらさしてもらってます、ファンシーと申します。どうぞよろしくお願いします。
早速なんですけど、チキンジョージが40周年迎えて、もう一番最初の頃から出演なさっているとお聞きしたんですけども、その頃の思い出みたいなのを教えていただければと思います。
(勝) 2階の(註1)
(鮎) あの2階のね
――シーナさんが怖がったっていう話を聞いたんですけども
(勝) ぐわーと揺れて。
(鮎) ほんとに揺れよった。ほんとにもうニューウェーブ時代やったからね、みんなもう新しいロックの楽しみ方はチキンジョージから始まったみたいなもんよ。ヘッドバンキングとはいわんけど、わーーっちなるような。ほんと、チキンジョージは揺れよったね。ほいであの下がキャバレーやったからバンドマンの、下のバンドマンのひとたちが上のシャンデリアが揺れるって演奏しながら『お、なんだろう』ってみたりしよるところにアンコールでまた通ってね。
(ロ) キャバレーバンドね。
(鮎) まああのう、ほんとにチキンジョージはロックの幕開けやったね。ニューウェーブロックのね。ただね、チキンジョージはもうレンジが広くて、ほんとにいろんなブルースバンドからフュージョンバンドももちろんあったやろ。もういろんなバンドがでよったし、そこで楽屋で、例えば上田正樹やらと再会したり、憂歌団と一緒に正月の新春歌絵巻も何度も呼んでもらったり。ミュージシャンとの交流もほんとにチキンジョージは他のライブハウスじゃ、感じられん、会えないようなそういうミュージシャンにも引き合わせてくれた、というのはとても。ROMELもそうだよね、ROMEL最初知らなかったからね。
(一同)へええ
(勝) ROMELさんはチキンの機材。
(ロ) 一番最初に三兄弟がきて。ロックバンドやってたんやけど。ロックバンドじゃビザが続かないって言われて、ちょっと楽器屋さんで働いたことがあるの。で、そのときにオープンすると三人で来たの。
(勝) そのとき僕高校生。
(鮎) 高校のときやったん。
(ロ) 子供がなにしてはんの。店やるのって聞いたら。誰か責任者連れてこいと。僕らです、と。ツイン2台とプロリバーブ1台、ベースマンと、(註2)ヤマハのパールのドラムと。それ聞いた途端、どうぞーって僕が言って、見積もりしましょうかとかいって。
(鮎) それが最初やったんね。
(ロ) だからみんなつながってたんやね。結局は。
(勝) で、シーナ&ロケッツのみんなきちっとねえ。夢のような世界で。お客さんが入りすぎて、床が揺れてシーナさんが歌うの怖いって言って。
――では他のライブハウスと違うところってやはりそういうところですか?
(鮎) やっぱ今も初めて聞いた話やけど、手作りの愛情やね。やっぱね。それやし、チキンライスが必ずでるのも他所とは全然違う。
――名物のまかないですね。
(鮎) 楽しみにしてた。
(勝) ありがたいです。
――シーナ&ロケッツさんもチキンジョージさんももう40年、間違えました。43年になるんですよね。11月で。
(鮎) ええ、11月で43年目。今は42年。
――あの、長くやってくっていうことのなんか秘訣みたいなの、何かもしあれば若い人たちに。もしあればですけど。
(鮎) もしあれば……やってみい。(笑い)
――ああ、なるほど。
(鮎) 43年やってみろ。(一同笑い)
――ああ、それはいい言葉です。ありがとうございます。めっちゃ。
(勝) ROMELさん何年ですか? 40?
(ロ) 70年、桑名さんとやからなあ。
――50年ですか?
(鮎) ROMELはもう50年。ぼくもねえ、サンハウスいれたらそのくらいになる。
(ロ) 一緒だよね。
――やってみいというのはかっこいいですね。勝さんもそう思いますか?
(勝) いやもう、すぐに、1、2年でチキンジョージって潰れる思うて。(一同笑い)
(勝) こんな40年もって全然思ってなかったから。気がつけば40年。
(鮎) 気がつけばっていうのはね。他にやることなにやるの?っていう感じやったからさ。好きなロックがやれてステージでギターが弾けて。
――ありがとうございます。
(勝) 足元なしで。エフェクターなしで直結でいくのが。Charさんも、『はあ、やっぱ、まこっちゃん、すごいなあ』いうて。直結だから。すごい、ほんと、ミュージシャンから見て。
――今回ライブ配信(註3)なさるということですが?
(勝) うんうん。ライブ配信はほんとにロックバンドとライブハウスの生き残るための新しい知恵やし。コロナが生み出したち言うても過言でない。みんなが新しいロックの楽しみ方としてね。まだまだあのうチケットを買うっちゅう行為はとても慣れてないけれどね。でもとりあえず生き残るためにはなんかやらないかんと。ライブ配信も、あのうなんちゅうかどかーんとみんな聴くようになったからね。 ただこう観るだけやないし、ステレオにつないだりして。
――ああ、なるほど。
(鮎) 友達呼んで。あのう、今やりよるわけやけんね。過去の、ユーチューブで過去の作品をみるのと違うけんさ。ロックっちゅうのはいつも今、今やけんね。今。今を重ねるけえ、輝きが増す。輝きちゅうのはちょっとカッコつけすぎやけど。今一緒に楽しめるそのラインでつながっとるちゅうのは、これはもうほんとに素敵なことやと思います。
――今まであまり(ライブ配信は)なさらなかったと。今回が始めてですか?
(鮎) いや、いやもう。そんなことは思わんやった。そやけど僕らもうライブ配信は3回くらいやりました。7月からね。7月に初めてやったのか。
――最後にチキンジョージさんにコメントをいただければ。
(鮎) チキンジョージはほんとにもう、日本でさ。関西のロックの拠点やし。もう今またコロナちうけれど。あのう、本当にあの凌いで生き延びてほしい。もう残念ながらなくなったお店とかってね。一回なくなると、もう機材はまたツインリバ2台からっちう感じでまた作らないかん。ここまでスタッフと一緒に作り上げたもんが、もうまた作るてとても大変やけど。
――バーボンさんとかバナナさんとか(註4)そんな感じになってる。
(鮎) 素敵なバーボンハウスがなくなったりして。色々あるけれどもチキンジョージには心の底からエールを送ります。
(勝) (ROMELさんに)もう大先輩。
(ロ) コメントを送ってますよね。
――大丈夫ですか。改めてなにかあれば。改めて
(ロ) それはもうまこっちゃんのいうとおりで。僕らも(チキンジョージを)守る。協力して。また来てもらいたい。
(鮎) 呼んでもらったら飛んで行きます。
(鮎) 素晴らしいんだよ。チキンジョージのサウンドと、このステージのどっしりロックを受け止めるステージがね。ほんとにあのう。岩盤の上に立っとるみたいな。安心感がある。演奏してると。
(勝) 経営者はゆるゆるです。僕らの…。(笑い)
――二階にいたときは揺れた、のが今は岩盤で。
(鮎) 揺れたあれが凝固剤になって岩盤ができた。
――なるほど、わかりました。
(鮎) プレハブっぽかったもんね。最初ね。
(勝) そうなんですよね。もう。
(鮎) いやあれはあれでなんかシャックちゅうかさ、南部のライブハウス、ジュックジョイも好きやったし。がっしりした、音がしっかり鳴る、素晴らしいホールです。
(勝) ありがとうございます。なんとか続けられるように。
(ロ) 三階からさステージ横までまっすぐの階段の。
(勝) はい、地震の。
(ロ) 地震のあとか。
(鮎) そうだねえ。いろんな危機を乗り越えたんだよね。
(ロ) あれが途中で落ちたら終わりよ。(一同笑い)
(鮎) ウィルコ・ジョンソンがロンドンから電話してきたんよ。神戸の震災のとき。すぐ。びっくりしたちゅうて……だいじょうぶやろうかて。
――お時間がきてしまいました。語りつくせないこと、お聞きしたいこともまだまだありますが、このへんで。今日は本当にありがとうございました。
インタビュー収録:2020年10月18日(日)「ROCK’N ROLL JAMBOREE 2020」にて